能登半島の海沿いで、地震で半壊した築100年の古民家を宿へと再生しようとしている建築デザイナーがいる。活用できる国の補助金はあるものの、複雑な事業計画書や収支計画を自力で揃えなければならない。しかし、「現場仕事で一日が終わり、夜に机へ向かう体力は残らない」。そこで取り入れたのが、LINEで思いを話しながら申請書を組み立てていく方法だった。数時間のやり取りで、数百万円規模に及ぶ申請書類の下書きが完成。書類を仕上げるのはあくまで本人、AIは思考の整理と下書きで伴走する。
もくじ(全 4 節・約 6 分)
01
背景・きっかけ
能登半島の海沿いの集落に、築100年の古民家がある。入江を目の前に望む立地で、外観には長く積み重なった時間の痕跡が残っている。
もともと地震前から空き家だった。家主は金沢に住んでいて、たまに帰ってくるだけの状況だった。そして2024年1月の能登半島地震で半壊認定を受け、解体される予定になっていた。
その建物を、1人の建築デザイナーが引き取った。
「入江が目の前に広がる立地と、築100年の歴史ある佇まいをそのまま消してしまうのは、あまりにも惜しい」
自身の建築デザイナーとしての知見を活かしてリノベーションし、宿として再生する構想を立てた。建物の持ち味を活かしながら、能登の海と暮らしに溶け込む宿にしたいと考えた。
ところが、ここで壁にぶつかった。
屋根や壁、土間、水回りの補修など、リノベーションの現場では自ら手を動かす作業が続く。現場仕事だけで一日が終わってしまい、活用できる国の補助金制度があっても、申請書類の準備・作成に割く時間がどうしても確保できなかった。
公式の案内ページを開いてみても、必要書類はExcelやWordの様式が複数ある。事業計画書、収支計画、改修計画、地域への貢献の見込み。これらを一から起こす作業は、現場で疲れた夜に向き合うには、あまりにも重かった。
「やりたい事業はある。補助金の制度もある。けれど、それを繋ぐ書類作りに、エネルギーをどうしても割けない」
これが、最初の困りごとだった。
この記事について
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02
AIに任せた仕事
この行き詰まりを解消するため、申請書づくりを支えるAIの仕組みを構築した。AIに任せている仕事は、大きく3つに分かれる。
1. 「何を揃えるべきか」を、AIが最初に整理する
国の補助金は案内ページこそあるものの、PDFやWordなど多様な形式の様式が乱立しており、何をどう揃えればいいのか一目では把握しづらい。事業計画書、収支計画、改修計画など、最初の一歩で途方に暮れてしまう事業者は多い。
そこでAIが必要な要件を読み込み、
- 必要な書類のチェックリスト
- 提出形式(Excel / Word)の指定
- 各種様式の記入用ファイル
を一括して手元に整理。「何から手を付ければいいか分からない」という、申請初期の最大の障壁を突破する。
2. 「何をやりたいか」を、AIが会話で引き出す
補助金の申請書類は、形式さえ揃えればよいわけではない。「どういう事業をやるのか」「狙いは何か」「どのような費用が必要か」を、審査する側に伝わる文章で書く必要がある。
ここを、AIが事業者に会話で聞いていく。
- 「この古民家でどんな宿を作りたいですか」
- 「どんなお客さんに泊まってほしいですか」
- 「改修にはどのくらいの費用がかかりそうですか」
- 「地域にとってのこの宿の役割は何ですか」
建築デザイナーは、頭の中にある構想をそのまま話していく。AIは引き出された本人の言葉を申請書の文体に整え、最初の草案として返す。事業計画書、収支計画、改修計画。形式が違う複数の書類に、食い違いのない内容が一度に反映されていく。
3. LINEのやり取りだけで、書類が完成形に近づく
書き上がった草案は、LINEで事業者の手元に届く。建築デザイナーは、現場仕事の合間や移動中に、
- 「ここはもう少し地域の文脈を入れてほしい」
- 「この費用項目は実際は半分くらいの想定」
- 「補助金の趣旨に合わせて、こっちの表現にしてほしい」
といった指示をLINEで返す。AIはそれを受けて、草案の該当箇所を書き直していく。
机に向かって書類と格闘する時間はほとんどなく、現場の合間にLINEを返すだけで、申請書類が着実に完成形へと近づいていく。こうして、わずか数時間の対話で申請書類一式の下書きが手元に揃った。
03
代表的な使われ方
書類の壁に突き当たるのは、古民家の宿に限らない。店舗改装や設備投資、新規開業など、意欲的な事業構想がありながらも、多くの現場で次のような障壁に直面している。
- 公式案内を開いた瞬間、膨大な書類の量に圧倒される
- 事業のイメージはあるのに、行政特有の堅い文章に落とし込めない
- 農業や漁業、日々の店舗営業に追われ、机に向かう時間が物理的に取れない
書類作成に慣れていない人ほど2つ目の壁は厚く、自ら現場作業を担う人ほど3つ目の壁を避けられない。いずれも「事業の中身」ではなく、「書類の作成手続き」の段階で足止めを食らっているのが実態だ。
「昼間は古民家の現場でずっと手を動かしているため、夜に疲れた体で机に向かって書類を作る気力は残っていなかった。LINEのやり取りなら、移動中や作業の合間に思いついた修正指示を返すだけで、書類の精度がどんどん上がっていく。この仕組みがなければ、補助金申請を諦めて自己資金の範囲だけで進めるしかなかったかもしれない。『やりたい事業を、書類のハードルだけで諦めずに済んだ』。それが何より大きかった」
能登半島の海沿いで古民家を再生する建築デザイナー(匿名)
04
成果と今後の展望
成果
今回組み立てた仕組みは、古民家の宿泊業に限った話ではない。
直近では、能登の他の事業者にも同じ仕組みを開いていく予定だ。伝統工芸の道具の設備投資、農業機械の更新、観光業の小さな事業。補助金の対象になり得るのに、書類で詰まって動けなかった事業者は、能登に少なくない。どの事業者でも、申請書を作るのは本人自身。AIは同じように「書類で詰まる」場面の伴走に徹する。
中長期では、採択後の「実績報告書」づくりの伴走にも広げていく計画だ。補助金は採択されて終わりではなく、事業完了後の実績報告でつまずく事業者も少なくない。事後手続きまでを一貫してAIが伴走できる仕組みを目指す。あわせて、使い始めの入口をLINE上で完結できるよう改善し、パソコン操作に不慣れな事業者でも迷わず使える環境を整えていく。
復興に向けた歩みは、制度が存在するだけでは進まない。「やりたい事業を、書類の手間で諦めずに済む社会をつくる」。そのための身近な足がかりとして、能登の現場に静かに寄り添い続けていく。

